■ 言葉をさがす
最近、歌詞なぞ書いておりますが、なかなかどうして難しい。
色んな所から影響を受けようと、心を開いて様々な場所や何事にも触れようとしたり
詩集を読んだり色々しています。
しかし、考えれば考えるほど、言葉は難しい。
以前ご紹介した「ぐるりのこと」の梨木香歩さんじゃないけど
言葉は不確かなもの。
「伝える」ことの難しさには手を焼く。
音楽でも、何も歌があるものだけではありません。
もちろん歌なし(インストゥルメンタル)なんかも沢山聞きますが、
なかなかどうして、そちらの方がやりやすかったりもします。
谷川俊太郎の詩で「あなたの手に触れる前に、魂にふれた」という
一節がありますが、そちらの方が純粋なコミュニケーションかも、
なんて思うこともしばしば。(全文読まなきゃわかんないね〜)
例えば、この前映画「スワロウテイル」の「あいのうた」という曲が
ありまして、映画でこの曲を知って「このギターの人、良い感じで弾いてるな」
と興味を持ち、調べてみると名越ユキオという方で、ギターマガジンに
彼の記事を見つけ読んでみると、Stuffにはまっていたそうな。
コーネル・デュプリーやエリック・ゲイルに影響を受けたそうで
「だからか〜」と思ったもんです。(自分も大好き)
これも一つのコミュニケーションの形で、自分が理想とする一つなのですが
「言葉」ってものが絡んでくるとフォーカスしにくいというか、ぼやける事が
あります。
しかし、詩人たちの作品を読んでいくと(銀色夏生さんなんてもう10年ぐらい
読んでますが)言葉というモノが不確定な分、自分の経験により
色が変わっていく気がするのです。
10年前に読んだ詩を今読んでみると、また違った色が見えてきたり。
自分の好みとしては、どうやらそこに活路を見いだせそうな気がします。
作ったモノを出すという行為は、すでに自分の手から離れていき、
あとはそれに触れた人々の感性に委ねるということになります。
こちらの意図とは無関係な解釈をされたりもします。
しかし、それはそれでこちらとしては面白い。
そうか!そんな考え方もあるのかと目からウロコ状態です。
だからといって、制作者の想いをそこに入れなくて良いかというと
そうではない。もしろ例え間違った解釈をされても、
強い想いを入れなくては、ダメだと思うのです。
「言葉」は受け手の経験や感性によって色が変わるので
なおさら強い想いがなくては、まったく芯がないものになってしまう。
それを選び出し、単純に伝えようとする行為はとてつもなく
難しいなぁ〜、と行き詰まる。
ぐじゅぐじゅ悩むのも、最近好きになってきた。
最近コミュニケーションをとるのが難しい時代と言われてきましたが、
人間が、自由や幅の広い考え方が出来るようになってくると難しくなるのは
当たり前だぞ、と。
色んな所から影響を受けようと、心を開いて様々な場所や何事にも触れようとしたり
詩集を読んだり色々しています。
しかし、考えれば考えるほど、言葉は難しい。
以前ご紹介した「ぐるりのこと」の梨木香歩さんじゃないけど
言葉は不確かなもの。
「伝える」ことの難しさには手を焼く。
音楽でも、何も歌があるものだけではありません。
もちろん歌なし(インストゥルメンタル)なんかも沢山聞きますが、
なかなかどうして、そちらの方がやりやすかったりもします。
谷川俊太郎の詩で「あなたの手に触れる前に、魂にふれた」という
一節がありますが、そちらの方が純粋なコミュニケーションかも、
なんて思うこともしばしば。(全文読まなきゃわかんないね〜)
例えば、この前映画「スワロウテイル」の「あいのうた」という曲が
ありまして、映画でこの曲を知って「このギターの人、良い感じで弾いてるな」
と興味を持ち、調べてみると名越ユキオという方で、ギターマガジンに
彼の記事を見つけ読んでみると、Stuffにはまっていたそうな。
コーネル・デュプリーやエリック・ゲイルに影響を受けたそうで
「だからか〜」と思ったもんです。(自分も大好き)
これも一つのコミュニケーションの形で、自分が理想とする一つなのですが
「言葉」ってものが絡んでくるとフォーカスしにくいというか、ぼやける事が
あります。
しかし、詩人たちの作品を読んでいくと(銀色夏生さんなんてもう10年ぐらい
読んでますが)言葉というモノが不確定な分、自分の経験により
色が変わっていく気がするのです。
10年前に読んだ詩を今読んでみると、また違った色が見えてきたり。
自分の好みとしては、どうやらそこに活路を見いだせそうな気がします。
作ったモノを出すという行為は、すでに自分の手から離れていき、
あとはそれに触れた人々の感性に委ねるということになります。
こちらの意図とは無関係な解釈をされたりもします。
しかし、それはそれでこちらとしては面白い。
そうか!そんな考え方もあるのかと目からウロコ状態です。
だからといって、制作者の想いをそこに入れなくて良いかというと
そうではない。もしろ例え間違った解釈をされても、
強い想いを入れなくては、ダメだと思うのです。
「言葉」は受け手の経験や感性によって色が変わるので
なおさら強い想いがなくては、まったく芯がないものになってしまう。
それを選び出し、単純に伝えようとする行為はとてつもなく
難しいなぁ〜、と行き詰まる。
ぐじゅぐじゅ悩むのも、最近好きになってきた。
最近コミュニケーションをとるのが難しい時代と言われてきましたが、
人間が、自由や幅の広い考え方が出来るようになってくると難しくなるのは
当たり前だぞ、と。


同じ言葉を使っていても、人によって意味はさまざまなのだろうと思う。
前に絵を描いているときに先生に印象深い言葉をもらった。
「何回も手を入れたところはその部分に力がこもるのです」
うまくいかない、と何度も何度も行きつ戻りつしたところが確かに強くなるのです。
同じように、言葉にもそういう効果は出るのではないかな、と思う。
いや、言葉、絵に限らず、すべてのものがそうなのかも。
[ edit ]
▲
ですよね〜。難しい。
自分で手応えあった!と感じるときは、こねてこねて作ったときと
直感で作ったとき。後者には何か良い香りがするというか
風が吹くというか。そんな予感がするときがあるのです。
毎回毎回、出てくりゃ〜文句なしなのですが・・・。
なかなかどーして上手く行かないもんです。
[ edit ]
▲